WEEKLY COLUMN
感性を育むための読書 #02
心の豊かさを生む、「美」の源泉を紐解く

昨今、いつになくアートやインテリアへの関心が高まっています。
ファッションについては言うまでもなく、「美しいモノ」「カッコいいモノ」「素敵なモノ」に触れることで心が豊かになっていく。皆さんにもそんな経験があるかと思います。

では、「美しさ」、「カッコよさ」とはいったいなんなのでしょうか。なぜ、私たちはそれを求めてしまうのか。
今回は、その根源を探るための本をご紹介します。

チープにさえ思われる言葉が今、最も大切かもしれない

『「カッコいい」とは何か』
著者/平野啓一郎
(発行元:講談社・発行年:2019年7月)
父の背中、スクリーンの中で躍動する俳優、あるいはロックスター…。「カッコいい」の眼差しを向ける対象は、さまざまです。
しかしながら、『なぜその人なのか』と問われたときに、理路整然と理由を述べられる人は少なくないでしょう。

曖昧でありながらも頻繁に使われてきた、この「カッコいい」という言葉。その意味するところが感覚的で直感的であるために、これまで深く追求してきた人はいなかったのです。
しかし、その言葉を深く掘り下げることで、私たちの生き方や考え方が明確になってくる。本書ではそれを分かりやすく解説しています。

この一見“当たり前”だと考えられていたテーマに深く、そして鋭く切り込んだのは、『日蝕』で第120回芥川賞も受賞された小説家の平野啓一郎氏。
本書では、「カッコいい」と判断する基準は“体感”に基づいているとの定義から始まり、外見だけでなく内面にも関わってくること、その価値観に秘められた危険性、そして、「カッコいい」を考えることはそのまま自身の生き方を考えることにつながると説いています。

しかしながらこの言葉にはどこか軽々しさがあり、倦厭している方も少なくないでしょう。
しかしそれを、単なる幼稚な言葉と切り捨てるのではなく、本書を通してしっかり向き合ってみてください。そこに横たわっているのは、私たちが大いに共感できる生き方や考え方、その源泉ともいえる価値観です。

言葉にできない言葉を見事に言葉にしてみせた、平野氏の傑作。
「カッコいい」を深く理解することが、あなたの人生をきっと豊かにしてくれるはずです。

改めて考えると見えてくる「美しいとは何か?」の答え

『美学への招待』
著者/佐々木健一
(発行元:中公新書・発行年:2019年7月[増補版]2004年3月[初版])
広辞苑を引いてみると、「美学」とは、“美を対象とする、すべての種類の学問的考察”とあります。そして、美の本質を問い、その原理を究明する形而上学としての美学に加え、さまざまな美的現象を客観的に観察し、これを法則的に記述しようとするところの科学的美学がある、のだとか。
「美」は叙情的であるからこそ感動が生まれ、心が動かされるという意見もあるでしょう。
ただ、その輪郭を明確にとらえることで、見えてくるものがあるのもまた事実。本書がそれを教えてくれます。

「美しさ」という概念はある意味普遍的ですが、常に変化しているものと見ることもできます。
20世紀に入ると前衛美術は「美しさ」を否定しました。
つまりは、その当時の常識の限界点を飛び越え、「美しさ」の新たなカタチ、ないしは多様性を打ち出したのです。社会、あるいは芸術界に深く入れられたメスは、思いのほか鋭利で、強力なものでした。
20世紀後半になると、科学的な進歩に伴い、複製がオリジナル以上の存在感を放ちはじめます。
美術館以外で「美しさ」と接する機会が増えたという点では、芸術と我々との距離は一気に縮まったといえるでしょう。しかし、同時に“真の美”というものがハレーションを起こしてしまっているともとられはしないでしょうか。

本書は、芸術界が今突きつけられている課題に対し、私たちが日々抱いてきた素朴な疑問や感想を通して解決の道筋を示す入門書です。
2004年に初版が発表され、ロングセラーを記録。増補版となる本作では、第九章「美学の現在」、第十章「美の哲学」が新たに書き加えられました。

「美」の正体を明確にすることは無粋なのかもしれません。その不明瞭さが「美」だとする向きもあるでしょう。
しかし、曖昧にせず「美」とはなんたるかを明確にすることは、情報過多といわれる現代においては大切なのではないでしょうか。それは、芸術における注目度が高まっている今だからこそ、強く思うのです。

海外からの客観的な目線で気付かされること

『日本人の美意識』
著者/ドナルド・キーン
(発行元:中央公論社・発行年:1990年4月)
日本と西洋では、やはり嗜好性は明らかに異なります。
西洋では、ストーリーの始まりと終わりがより明確で、分かりやすいクライマックスも必須。
一方で日本はというと、完全なる帰結を嫌い、曖昧さをほのめかすことを良しとする風潮があります。そして、ストーリーの先にそれを見る者の考えや想像の余地を残すのです。

俳句などはいい例でしょう。
短い文の中では、それが何を明確に表しているのかをうかがい知ることはできません。しかし、そこには壮大な解釈の多様性とともに、世界観の広がりを見ることができます。
ひとつの事象に対してさまざまな表現法があり、曖昧性をより強める日本語ならではの文化ともいえるでしょう。

本書では、日本独特の美学を通し、そこに潜むさまざまな気付きが綴られています。
小説や映画など、ストーリーの明確な帰結や論理の道筋が鮮明に描かれたものは、やはり受け入れやすく見ている者にとってはすっきりするかもしれません。
ただ、考え方によっては、作り手が考える主張や正解にただただ同調しているだけともとらえられます。結果、西洋文化ならではの嗜好性が思考性を奪うことにもつながりかねないのです。
一方で、日本は考える余地が多く明確に答えを打ち出さないことで、西洋文化に慣れた人にとってはどこか釈然としないかもしれません。しかしそれは、各々の考えを肯定し、受け止め認め合う日本の美徳ともとらえられるのです。

どちらが正しいということではありません。ただ、多様化を追求する時代だからこそ、各々の考え方を認め合い、尊重することが、現代社会においては最も大切なのではないでしょうか。
著者は、日本文化研究の第一人者であるドナルド・キーン氏。
アメリカ人の彼が書き記したからこそ、この本を手に取り、改めて日本人の備える美意識について考える意味があると思われます。


「美しさ」や「カッコよさ」にスポットが当てられている今こそ、その言葉が指し示す意味について改めて考えてみてはいかがでしょうか。
感覚的に感じる部分も必要ですが、より深く「美しさ」や「カッコよさ」と向き合えば、私たちの人生はもっと豊かなものになるに違いありません。